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放射能への諦めどころ [日々徒然]

最初はね、風向きとか出荷停止の野菜とかホットスポットとか
色々と過敏にではないけれども気にはしてました。でもなあ、
よくよく考えてみれば、震災後数日、水蒸気爆発後に積み込み
作業をしてるし、その時に放射性物質だとか千葉のコンビナート
火災での有毒物質だのを浴びてるし吸ってるよなと。
実際、その作業以降、風邪の症状を飛び越して咳喘息にも
なったことですしね。これはコンビナート火災の際のガスが誘発
した可能性が高いです。だって積み込み作業したのって岸壁ですし。

それでも、お母んは外に出るときにマスクを二重にしたり
水や野菜もこだわってました。でもですね、ある日2人で
「もうダメだね」という落ち着きどころがありましたよ。

違うなぁ、ダメっていうか、もういいやっていうか、しょうがないって言うか
なんでしょう、落としどころのような諦めどころのような、上手く言えなけど
共存していくしかないなっていう感じ?

ウチの両親、お見合いなんですが偶然にも2人とも山口県出身なのです。
ちなみに瀬戸内海側です。お父さんは満州引き上げだけど、お母んは
本土にいたので薄っすらとしか記憶に無いまでも、疎開を経験しています。
そして広島・長崎に原爆が落ちたあとも、1960年代の冷戦時代の
核実験や水爆による放射線も吸っているのです。

そしてわたし、小学校時代にチェルノブイリの事故がありました。
当時、図鑑や科学本が好きな子供だったので偏西風のこととか
知ってましたし、ニュースで牛乳から放射性物質が検出されたとか
言ってるのを聞いた記憶があります。でも学校給食で牛乳を飲んでるし
外で普通に遊んでましたしね。

で、一説によるとその頃の方が今、避難区域外で検出される数値よりも
高い値で放射性物質がウヨウヨしていたってのがありますよね。
それが本当であって、さらに現在発表されている数値や原発の状態が
本当であればとした場合、の話なのですが、そんなこともあって、お母んと
「お互いに成長期に放射性物質が世界に飛び回ってたね。でも今んとこ、
花粉症だの呼吸器が弱いだのというのはあっても、大きな健康被害はないね」と。
となれば、成長期なんてとうに終わった身ですんで、とりあえず神奈川で
日常生活を送っている分には大丈夫だろうという結論に達しました。

もちろん、自分たちが住んでいるところが大幅には汚染されていないから
それで良いとは思ってません。地産地消が日本の食料自給率をあげていく
上でもとても重要なことですし、被災した地域の方たちが、早く本当に少しでも
早く住み慣れた土地でいつものような日常をおくれることを願っています。

そのためには現場で作業に当たっている方たちのご苦労があっての
ことだというのも分かっています。早く何とかしてくれと思いつつも、これ以上
現場で懸命の作業に当たっている方たちの健康や心身に悪影響が出ない
ことが一番です。相反します、難しいです。

あ、参考までにちょっとね。両親とも第二次世界大戦勃発前の生まれで
なぜにわたしがチェルノブイリ事故を成長期に体験しているか(体験て
ほどの距離でもないですが)、それはお母んが当時としてはかなりな
高齢出産だったからです。なので親世代は戦前生まれ、団塊の世代
よりも上の年代になりますが、その子供であるわたしは団塊ジュニアの
すぐ後になるわけです。まあ、年代を幅広くした場合の団塊ジュニアには
完全に引っかかってますけどね。せめて団塊ジュニアの最初の方なら
少しはバブルでいい思いができたかなと思うこともありますが、そんなことも
ない世代です。せいぜいがとこ、中学生や高校生時代に世の中が浮かれてたんで
大人たちがわたしたちを締め付ける基準がゆるかったってことくらいでしょうか。
高校生って身分を明かして入った居酒屋で、普通にお酒が出てきたもんなぁ・・・


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